2013年10月9日水曜日

29 終わりと本当の勝利

何もかも全てが終わったのは2012年の6月に入ってから。
弁護士:Sさんと相手方社長の間でようやく正式にこれで終わりです、という書面を交わし、私のところへ送られてきたのです。

何度お礼を言ったか、でも言い足りないくらいです。

システムさんと営業:Hさんにも報告しました。
営業:Hさんは新しい会社で忙しくしているそうです。頑張って!

システムさんとは3月の始めに関東へ帰られる前に飲みに行きました。
事の顛末をお互いに報告し合い、これからのことなど色々話をしました。
家が近かったら一緒に仕事できるのにね、とも。
でも何かあったらお手伝いしますよ、と笑顔でお別れしました。

余談ですが実際に労働審判で和解していた場合、相手方から『この件についての口外はしないという約束で』とか何とかいう一文を盛り込まれることが多いんですが、今回は差し押さえ免除を条件に、こちらの一方的な要望を盛り込んだ(退職日の指定、源泉徴収票出せ、と名目は慰謝料くらいのもんですが。)ものになっているので、この制約はまったくありません。
労働審判も内容は公表されないだけで、こういうことがあったと話をすることには制約が無いのです。
まぁ、あまりのおおっぴらなやり方はモラルに反するかなぁと思いますけど。

まぁ、実名伏せている時点で読んだ当事者しか自分たちのことだとは分かりませんから制約があったとしても公開に関して支障ないと思うんですけどね。

なので本当はこの記録をすぐに公開しようかと思ったんですが、先にやることがあるでしょう、と。

28 勝利の実感

2月25日、相手方から弁護士:Sさんに電話があり、今回の解決案をぜひ受け入れたいが支払いの目処が立たない、返事を3月1日まで待って欲しい、と連絡がありました。

まだ時間稼ぎかい!
この話を聞いてめっちゃ怒ったんですが、弁護士:Sさんは冷静に3月1日に返事がない場合は何があろうとも差し押さえを再開しますよ、と伝え待つことになったんです。
大人だ。

そして3月1日、相手方から弁護士:Sさんに、今回の解決案を全面的に受け入れますと電話がありました。
ここでも弁護士:Sさんは冷静に「ではそのことを正式な書面にしてお送りください。そして3月5日と3月15日に全額が振り込まれた後、正式にこの件を終了させる手続きをしましょう。」と伝えました。

そうなんです。
もう口約束は一切ないのです。

2013年10月8日火曜日

27 解決案~ほんの少しの譲歩

先週相手方のセコい悪あがきが失敗し、こちらとしても差し押さえ第2弾を実現させるべく割り振りなんぞを考えていたのですが、弁護士:Sさんは相手方にとある解決案を提示することを私に勧めました。

理由として差し押さえる前に会社を潰してしまったり逃げられてしまったら現回収分で終わってしまう。
会社を潰すことが目的ではないので現実的な方法をとりませんか、と。

26 セコい悪あがきをしてきた

さて、これで相手方が素直に残りの金額を払ってくれば終わりだったんですが、ものすごくセコい悪あがきをしたんですよ。

ここからは1日毎に動きがありました。


2月14日:
相手方から弁護士:SさんへFAXが送られてきました。
要約すると、2月7日の話などをまとめて『A弁護士事務所』を代理人とし、話し合いの場を設けてもらえるよう提出したとのこと。よってしばらく待って欲しいと。

2013年10月6日日曜日

25 弁護士の威力

相手方もやっとコトの重大さに気づいたのでしょう。
弁護士:Sさんの話によると相手方の社長は電話口で「とにかく話をしたい」の一点張りで何の話をしたいのかは言わなかったそうです。
下手なことを電話口で言ってコレ以上状況を悪くしたくないと思ったんでしょうね。

次の差し押さえのために予定していた打ち合わせの日に弁護士事務所に来てもらうことにしました。

もちろん私は同席しません。
弁護士さんは債権差押代理人として私を守ってくれているのです。

相手方の出方によって今後の方針を決めることになりました。

そしてこの頃相手方社内でも動きがありました。
とうとうシステムさんと社長が激突したらしいのです。
システムさんはもうコレ以上ここにいても何の進展救いも無い。
なので今月いっぱいを目処に東京に帰る、とのことでした。

ホントお疲れ様でした。
よく今まで社長と経理:Yのお守りをしてたよね、と同情したくらいですもん。
システムさんが帰る前に飲みに行きましょうね、ということになりました。

2月7日に相手方社長が弁護士:Sさんの事務所に来ました。
この時の報告は数日後の打ち合わせ時に受けました。

とても穏やかな弁護士:Sさんが開口一番「嫌な奴らでしたね。」と顔をしかめながらおっしゃいました。